A-Style 家づくりの経済学  26
家づくりの経済学
家づくりの経済学(26)建築コストを考える(2)
いよいよ師走に入り、慌しくなってきました。 年末で思い出すのが、実家の工務店で年末恒例行事だった“餅つき”です。自宅で食べる分のほかに、得意先に配るための鏡餅を作り、それを持って年末のあいさつ回りをするのが慣例となっていました。大手の建設会社の中にも、いまだに得意先を招待して年末には大々的な餅つき大会を行っているところもあり、家の神棚や床の間に供える鏡餅をその家を建てた建設会社、工務店が届けることが昔は少なくなかったのかもしれません。

「住宅ビジネスはクレーム産業だ」—新聞記者になってから、こんなフレーズをよく聞くようになりました。その時にふと思ったのは、祖父や父もクレーム産業だと思いながら仕事をしていたのかということです。私のプロフィールにも、「小学生の時からスコップを手に現場に出る」と書いたように、随分、現場に連れられて発注者の方々にもお会いしましたが、工務店が「クレーム産業」と感じたことなどなかったからです(まだ、私が子どもだったからかもしれませんが…)。
先日、あるゼネコンの社長にインタビューしていると、「マンションを購入した」という話題になったので、「自社で施工した物件ですか?」と聞くと、言葉を濁すのです。あとで広報担当者に聞くと、「マンション施工会社の社長が住んでいると判ったら、何か問題が起こるたびに、住民から社長にクレームが直接行くので、とても住めないよ」との答えが返ってきました。
その時も思ったのは、実家のこと。実家の両隣の家も、向かいの家も、その隣の家も、回り近所に10棟以上、父が施工した家があります。とても住んでいられないほどのクレームが来るのなら、近所付き合いもままならないように思うのですが、そんなことになっていないのは確かです。
むしろ発注者の方々とは、家を建てたあと、ますます濃密な関係を維持していた印象がありました。それは顧客が次の顧客を紹介してくれるというビジネススタイルに起因していたからだと思います。住宅展示場を持たない零細工務店にとって、これまで建てた家がモデルハウスであり、アフターメンテナンスも含めた「信用」だけが顧客獲得の手段であるからです。
加えて、家に対する考え方も昔と現在では違っていたのではないかと思うのです。多少、誤解を招く言い方かもしれませんが、昔の家は、工業製品のような“完成品”ではなかったのです。つまり、不具合を直しながら、住みやすく使いやすい家に仕上げていく。発注者も、少々の不具合があっても目くじら立ててクレームを言うという感覚はなかったと思うのです。
消費者が、家を自動車や家電製品と同じような“完成品”だと誤解するようになったのは、家を工業製品のように扱ったハウスメーカーの責任でしょう。メンテナンスフリーの新しい建材を使って不具合が生じにくい家を作り、アフターメンテナンスをなるべく省略する。それで化学薬品を大量に使い、シックハウス問題を引き起こしたのですから、自業自得としか言いようがありません。

アフターメンテナンスは、工務店の営業活動そのものであったように思います。顧客からクレームが来る前に問題を解決してしまえば、それはクレーム処理ではなく、サービス対応になります。工事現場は札幌市内だけですから、私を乗せて車を走らせているときでも、以前に建てた家の近くを通りかかると、ちょっと寄って外から様子を見ながら家に痛みが出ていないかをチェックしていました。
最近は地球温暖化が進み、積雪量も少なくなってきている印象がありますが、札幌の冬は厳しく家にとって非常に厳しい環境です。冬場の工事ができない間も、父は屋根に積もった雪の様子を見ながら、雪片付けに困っていそうな高齢の顧客のところに私や弟を連れてトラックで雪を片付けに行ったり、オーダーメイドの本棚や家具、時には市販品にはないような重厚な神棚まで作ったり、何かと忙しくしていました。
鏡餅配りや雪片付けをしながら、屋根や結露の具合など家の状態を調べていたのかもしれません。もちろん、父には顧客へのアフターメンテナンスが、ハウスメーカーが新聞広告やテレビコマーシャルに膨大な費用をかけて宣伝するとの同じ営業活動だという意識は全くなかったと思います。しかし、それ以外に零細工務店が5年前に廃業するまで仕事の依頼がほとんど途切れなかった理由は考え付かないのです。

95年の阪神大震災をキッカケに住宅品質確保促進法が制定されました。住宅の瑕疵担保責任が、構造部分に関しては2年から10年に期間延長されたわけです。もし、施工した家がお隣だったら、10年過ぎて不具合が生じたときに、期間が過ぎているからといって責任を回避できるでしょうか。ハウスメーカーなら可能なのかもしれませんが、地元密着の零細工務店にしてみれば、その家に住まわれている限り、面倒を見るしかないでしょう。お隣の家にそう対応するなら、結局、全ての家の面倒を見ていくしかありません。
確かに、祖父や父の時代は、建築コストの算出もかなり大ざっぱでどんぶり勘定だったと言えるでしょう。しかし、アフターメンテナンスのコストもどんぶり勘定の中で面倒を見るということが暗黙の了解になっていたように思うのです。
時代は変わって、消費者の建築コストに対する関心も高まり、コスト計算も高い精度が要求されるようになってきました。建築コストの精度を高めるなら、当然、アフターメンテナンスのコストもどんぶり勘定では済まなくなります。顧客と施工業者との関係もドライにならざるを得ないでしょう。
父もそうした時代の変化を敏感に感じていたようです。「個人工務店が生き残るのは難しい時代になった」と、工務店をたたむ10年ぐらい前から言い続けていました。そして、ある「事件」をキッカケに、その思いを強くしたようです。それは、どんな「事件」だったのか?その話は次回に。
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